こんにちは、管理人のU2です。

G研では毎週土曜日にグループワークがありますが、最も印象的だったワークが「家の間取り図」です。小学生時代に住んでいた家の間取り図を、A2サイズに書いて発表するという、一風変わったワークでした。私にとって40年以上前のことを思い出すことは困難でしたし、記憶力の悪さも相俟って作成に随分と手こずりました。

省察

作成後、この家は自分にとってどのような意味があったのか省察しました。いろいろなエピソードが思い出された中、楽しかったことはより鮮明にカラフルなイメージとして蘇り、苦しかったことはよりぼんやりとグレーなイメージで、そして間取り図の中には書き込まず蓋をしている自分自身の傾向に気づきました。さらに、家の中での出来事よりは、外での出来事の方がより記憶に残っていることに気づかされました。

聞き手として

最初に発表された方々も、小学生時代の記憶を呼び覚まし再構成することに相当苦労されて創作された跡がうかがえました。そして、間取り図に描かれた内容と同様に、発表者の心が映し出された不思議な平面図であると感じました。二次元であることが視座をあげることに役立ち、さらに時空を超えて俯瞰する効果があるのだと思います。

ココロのドア

さて、以下、私が発表で心掛けたことになります。

心のドアを開放してみよう
そして既に忘れてしまっているのか?
強固な蓋が空かない状態だけなのか?
何がでてくるかを楽しみにしよう

恵の家

当初話をしようと考えていたシナリオは、間取り図として描いた一階と、敢えて描かなかった二階を分けて二部構成にすることでした。しかし、結局自分は何が言いたいのか?という答えが出ていなかったところ、あるキーワードが頭に浮かんできました。それは「恵みの家」という言葉でした。

物理的な過去は無であるが記憶は残る。そして、現代から振り返ってどういう意味を持っていたのか?「過去は変えられる」との言葉が思い浮かび、意味の再構築が促された結果、ふいに出てきた言葉でした。

苦手な領域であるグリーフケアを学ぼうと思って一歩踏み出したのはなぜか?紛れもなく父の死が切っ掛けと思い込んでいましたが、実際はそのもっと前、小学生まで遡り、小児喘息で苦しんでいた過去の体験が切っ掛けだったのではないか?体の弱い私を家族全員で支えてくれた、私に力を与えてくれた恵みの家。その原体験が、今度は人をサポートすべきだ、人に施すべきだと私を突き動かしているのではないかと思えました。

小学生時代に限らず家は人生の一部であり、縮図であり、人が歩む人生のストーリーが詰まっている場であると感じた有意義なワークでした。


この記事を書いた人

U2
ウキウキバリューで企画・制作を担当。際立ったスキルもないどこにでもいる中年のおっさんですが、かけがえのない人生、やりたいことをやりたいように歩んでます。