こんにちは。管理人のU2です。

先日、リフレクティングの体験ワークに参加してきましたので、そのときに感じたことを少し書きたいと思います。

体験ワークでは、相談者/インタビュアー/リフレクティングチームの3つの役割に分かれます。私は、なりゆきで相談者役となり、ふと「カフェ・ロジャーズのことを話してみよう」と思い、語り始めました。話すうちに、「ひとりで運営していることの孤独」や「同志を望んでいる気持ち」が自然と口から出てきました。

リフレクティングチームからは、「いいセッションだったね」「この回は大成功だったね」といった発言があり、それを聞いて私は「なるほど、私はそういう“同志”を求めているように見えたのか」と共感する一方で、「本当にそうなのだろうか?」という違和感も覚えました。

帰宅して改めて振り返ってみると、カフェ・ロジャーズはもともと仲間内ではなく、ひとりで始めた活動であり、その当初から孤独や孤立はつきものだったということに気づきました。今でもその状況は変わっていないはずです。それにもかかわらず、「同志のいない寂しさ」を感じるというのは、私自身の本当の気持ちと少しずれているように思えたのです。そこで、さらに内省を深めました。


  • 「何でこんなことをやっているんだろう?」という“こんなこと”とは何なのか?
  • 「同志」とは、どういう意味なのか?
  • 「世の中に喜んでもらう」とは、具体的に何を指しているのか? これまでどんなときに喜んでもらえたのか?
  • 「孤独」でいると、どんな気持ちになるのか?


こうして問いを重ねた結果、私は「自分のやっていることに自信がないから」という本音にたどり着きました。つまり、同志が欲しかったのではなく、「自分の活動に対する自信のなさ」を補うために、誰かからの励ましを求めていたのです。

カフェ・ロジャーズでは、「見返りを求めずに施す」という行動指針を掲げていたはずなのに、いつの間にか見返りを求めるようになっていた――この気づきは、私にとって非常に大きなものでした。

頭の中で「あーでもない、こーでもない」と考えているだけでは見えてこなかったことが、言葉にすることで整理され、輪郭をもって立ち上がってくる。今回の体験は、そのことを改めて実感する機会となりました。

この記事を書いた人

U2
ウキウキバリューで企画・制作を担当。際立ったスキルもないどこにでもいる中年のおっさんですが、かけがえのない人生、やりたいことをやりたいように歩んでます。